石薬師寺
この地には 日本武尊に関係する話が沢山ある。
今日 呼ばれていった石薬師寺は 延暦年間には高富山西福寺瑠璃光院と呼ばれていたそうである。
その高富とは 語源は高飛びとから訛っていった では 高飛びとは 日本武尊が伊吹からの帰り
この地の近くで亡くなり 白鳥になって高く飛んでいった から来ているそうである。
その地の森の中より大地鳴動して巨岩が出現し 十二神将がその周りを守っている姿を泰澄と言う高僧が見た
泰澄はこれは薬師如来が金輪際より衆生利益の為示現されたのと感悟し 恭敬供養されたのが始まりとされている。
その後延暦15年(796年) 弘法太師が自ら如来の尊像を刻して厄除秘法を開眼供養されたと言い伝えられている。
又嵯峨天皇(さがてんのう 52代 786〜842 在位809〜823)の勅願の道場となり 壮麗なる堂坊を建立された。
この石薬師如来は 秘仏で昔は60年に一度の御開帳であったが 天皇家より鍵を預かったのを機会に
一年に一度12月20日に秘仏の御開帳があるとのことである。
このお厨子の中に 全体で二メートル近い石薬師さまが土の中から出現されたお姿でいらっしゃるそうである。
私事 何故急に薬師如来さまかと思われるだろうが 実は急に呼ばれたのである 呼ばれるままに車を走らせていたら
丁度山門の前に出た。 そして又親切な若い僧に お寺の縁起を聞かせてもらい 写真まで撮らせていただいた。
毎月一度護摩焚き法要をされるとの事なので 機会を見て参加させていただこうと思っている。
ありがたいご縁である。 ありがとうございます。 感謝感謝 合掌
和楽輪の家 小林哲博