林原健さん&政木先生
 
 名古屋の毎日ビル9Fで毎月行われていた 能力開発研究所主催の政木先生の講演会
欠席することなく 毎月ビデオ&録音 を撮っていた。
政木先生が前世熊沢蕃山だったころ 林原健さんは 池田光正だった『岡山藩池田家三代目』
儒教を信奉し陽明学者・熊沢蕃山を招聘した。寛永18年(1641年)全国初の藩校花畠教場」を開校。寛文10年(1670年)には日本最古の庶民の学校として「閑谷学校」(備前市、講堂は現在・国宝)も開いた。教育の充実と質素倹約を旨とし「備前風」といわれる政治姿勢を確立した。』
 
そんな林原健さんが 家業を継いだのはきっかけは 父親の急逝だった その時彼は学生だったと思います。
急遽岡山に帰った彼は  政木先生を訪ね教えを乞うた。  どうやって会社の経営をしたらいいかと
政木先生曰く 『一つづつ イメージ出来た事を みんなの前で喋ればいい』 と
政木先生の言葉を実行した彼は 会社の経営とは こんなに楽なものかと と言ったという。
 
そして林原には 『林原の午睡』 と書いた額が 正面に飾ってあるんだよ って語って下さいました。
それも 30年も経てば 埃も溜まり 馴れも手伝って 不自然を不自然と感じなくなり 
ついには 手を広げ過ぎ収集つかなくなり倒産して刑事責任を問われるような経営者になっていってしまうのかと思うと残念です。
岡山の超優良企業は 一体どうなってしまったのでしょうか?