死を見つめる生き方
 
今日父の仲良し三人組の一人が亡くなった 94歳だった。  昨年同じ特養施設で一人旅立った。
自宅介護の父が一人残された。
今日行われた地区文化祭で沢山の老人の方々にお会いした。  そんな姿を見ていると自分の将来の姿が見えてくる。
僕達が何の不自由も感じることなく 極普通に車が運転出来るように  老後の一人になった自分が 自分の生活を
今車を運転しているように  自然と反射的に体が動いて行っていけるだろうか?
今意識のはっきりしているうちに 人に頼らず 自分の事が自分で出来るように 自分を習慣ずけておかないと
汚い年寄りになるのではないかと思う。
昨日15年ぶりに訪ねてこられた 陸軍将校の未亡人は80歳だったが おしゃれに装い 足取りもしっかりされていた。
僕は 最近 トイレを素手で洗ったり  靴をどんなに急いでいる時も いつも出発出来るように揃えて脱いでいる。
でもまだ100回の内 一回は揃えずに上がる事がある。
その辺をバロメーターに 着替えたたものは必ずハンガーにつるして戻す。  一回でもミスすると部屋の中は散らかってしまう
後で片づけるのが 大変になり 急にお客さんが有ったりすると 慌ててしまう。
明日有るか無いか 何の保証もないこの世の人生を悔いなく生きたい。
一生の師として求めた先生も88歳 今やパーキンソン病を発病し 一人では生きていけない身体になったとの事である。
最後まで身をもって見せてくれている。
尿療法の中尾良一先生は 尿療法やっていると  大木がドサッと倒れるように  余り無しでサッと死ねる と言い
平成14年7月25日91歳でその通りの死に方で旅立たれた。
僕の座右の銘 『今 今 今  今の一瞬を無限大に味わい尽くそう』 を生きて行きたい。