起点 ・ 源流
 
昭和三十八年だった  僕が高校二年生の時
 
母は 全国開拓婦人会代表で二カ月間 イスラエルの共同体の視察に行った
 
私のシンドバッド を書いた 徳川幹子さんが団長さんだった
 
その時母が用意したカメラはキャノネットだった
 
旅行から帰ったらカメラは用済みとなった それが僕が初めて手にしたカメラだった
 
早速四日市農芸高校写真部を作った 最初の作品が 実習前の風景だった
 
 
勿論 フィルムの現像から 印画紙焼き付けまで自分でやった
 
その後この写真は 機関誌『こだち』五号の表紙になった
 
 
発刊が昭和三十九年三月一日 その月の九日に卒業式だから高校生活最後の思い出の作品である
 
 
それから四十六年経った二月二十一日発売 笑顔共和国大統領 福田純子さんの書いた
 
『笑顔で生きる』の表紙を僕の写真で飾る事になった
 
今 書いていて不思議に思うのは四十六年前に僕の道が決まっていた事だ
 
小冊子『ツキを呼ぶ魔法の言葉』も太陽の写真で飾った。発行部数は すでに120万部を超えている
 
起点・原点 書いていて僕自身発見があって面白かった。
 
感謝  感謝  ありがとう