年末恩恵
27日はほかほかの温かい日だった
小さな食堂近くにあるキッチンガーデンには 野草の三つ葉が植えてあった
冬の最中の小春日和に父もコタツから抜け出し 草取りを始めた
気が付いた時はすでに遅し 三つ葉も マーガレットも草かごの中だった
がっかり気分を立て直し 難を逃れた三つ葉に植木鉢をかぶせ 父に抜かぬように頼んだ
31日は 石山観音の30体程いらっしゃる石仏さまの新年を迎えるためのお花供えだ
これが終わらないと僕の新しい年は来ない
花を手向けるための花入れを70個作るための竹を切りに竹林に入った
必要な分の竹を切り揃え ふと地面を見たらそこには野生の三つ葉が群生していた
父が草といっしょに抜いた三つ葉の代りがここにその何倍と有った
あぁ〜何という事だろう 余りの神のはからいにもうわたしは無くってもいいと思った
努力する私 体裁を整える私 プライドを気にする私
色々な私が僕を形成していた
しかし もうそんなもの何も必要ないと思った
毎朝 全てを受け入れます 全てを捧げます と誓いの言葉を唱えている
今そんな世界が 毎朝の歩き瞑想の中に生れて来ている
僕にとって 一年350日日以上歩く歩き瞑想が この世とあの世の接点になっている
見守られている毎日に感謝です
ありがとうございます。
哲