忘れ得ぬ恩師
 
ちょっと日陰の目立たない所に ここが僕の場所と岩ヤツデが芽を出した
 
 
浜島に隠居生活されていた 故東畑先生から記念に頂いた貴重な山野草だ
鉛筆書きの名札の字が消えかかっていて気になっていた 
それもそのはず もう20年以上前に書かれたものだから
 
 
東畑先生からは80歳の記念に先生の書かれた 自鍛十ヶ条なるものも頂いた
僕が19歳の時 先生は三重県農業改良課の課長さんだった
小林君 君を4Hクラブの日本代表としてアメリカに行かせてあげるから英語の勉強をしておきなさいと言われた
当時一万羽の養鶏場を経営していた 山岸式養鶏法だったので毎日相当量の青草を刈り取り餌にしていた
牧草の種を蒔いたり 朝早くから草を刈ったりかなりの仕事量だった
 
そんな中でNHKの基礎英語講座 基礎英会話を毎日ラジオを聞いて勉強するのは大変だった
夜はキリスト教教会に通って 直に会話を学んだ
 
しかしある日 東畑先生の部下の方が四日市に見えて 
課長の言うほどアメリカ行きは簡単な事ではないよ と耳打ちされた
英語の勉強もつらく 逃げたい気持ちもあったので その話を聞いた事が渡りに船で勉強を休んでいた
 
それから一か月程して 東畑先生が四日市に来られお会いして開口一番
ちゃんと英語勉強しているかい? だった
 
その時 僕は先生を疑い裏切っていた  わぁ〜恥かしい 何という事をしてしまったと逃げた自分を悔んだ
先生は答えは聞かなかった 
それから僕は根性を入れ替え勉強に励んだ 結果農林省で行われた英語会話のテストも無事パス 
日本代表三人の中に選ばれた
先生は講道館6段の柔道の先生でもあった 大声も出さず人も裁かず いつもどっしり 静かな先生だった
当時としては体格も立派な東畑先生から 僕は男道をしっかり学んだ
 
名も無き山野草をこよなく愛し 浜島も潮騒の聞こえる岬の入り江に居を構え
県庁退官後は地元浜島の教育長をされ奥様と静かな晩年を送られた
僕にとって一生の先生である 
先生の形見の岩ヤツデが どんなに雨が降らなく乾燥しても 雪が積もっても
決して枯れる事無く毎年今の時期になると元気に芽を出し僕に勇気をくれる
先生と出会うために僕はこの世に出てきたみたいに思える本当にありがたい事だ
先生ありがとう
感謝です